ぼくの脳内

ぼくの脳内を言語化してみた

弱点と言う現実を見たい

 この2週間、はっきり言って堕落しきっている。

 

 それもそのはず、幼稚園時代から継続して塾に通わされていたんだ。すべてこの大学受験のためだったのだ。

 それがつい先日、あまりにも唐突に終わりを迎えた。それだけのことだ。

 

 本当にターニングポイントというものは、いつの間にか訪れる。

 しかし、それは見かけの話であって、そこに至るまでの道のりは長い。

 

 

 それはさておき、今のこの堕落した自分の中に、弱点の核心部分を見つけられたような気がしてならない。

 

 まず、私は大学のネームバリューを気にし過ぎている。

 私は基本的に学歴社会は嫌いである。そもそも好きな人などいるのだろうか。

 就職などで、表面的にある程度その人を分類するのには便利だ。しかしそれで本当に良いのだろうか。

 ちゃんと人の中身を見ろ、と言ってしまえばそれで終わる。

 学歴は過去。全く意味をなさない。もしも東大生が記憶喪失になったら?もしも京大生が全身不随になったら?

 結局、今の自分しか保証されるものはないのである。

 

 こう考えて学歴とは向き合っていきたい自分なわけだが、それを考える分それだけ学歴のことを気にする自分が浮かび上がってくる。

 嗚呼、自分こそが学歴で人を差別していたのだと。

 皮肉な話だ。

 

 いくら綺麗ごとを上に塗っても、もとある色は無くならない。完全に消すことなんて出来ない。これは、窮屈な中でずっと勉強させられてきて、いい学校に入ることを考えざるを得ない状況に追い込まれたからなのかもしれない。

 

 そうやって人の所為にするのも、ナンセンスな話だが。自分の人生は自分でなんとかしなければならない。たとえ、幼少期から親のひねくれた指導があったとしても。

 それも自分で克服していかなくてはならない。

 そう考えると、最高の教育とは一体何なのか。本当に分からない。

 

 

 次に、深く考えたりすることに対して面倒くささという名の防衛機制を発動してしまう所を挙げたい。

 思考したくない。何故なら、そこで失敗する自分を見たくないから。

 破壊と構築を繰り返したくない。一度組み立てた城をもう一度壊したくないだろう?

 

 "えいやッ"と大胆に決断する能力に欠けているところもひとつの特徴。これは弱点とは言い切れない。

 慎重であるとも捉えられるからだ。

 試験では大胆さはかなり重要なカギだが、医師として働く上ではそうはいかないのだろう。かといって、自分の決断には自信を持たなくてはならないため、大胆さというか判断力は求められる。

 そのためには、ただただ知識や経験を積むしかない。努力するしかないのである。

 

 ところで君はいつしか、人間の命そのものを扱う。本当にその覚悟はできているのかい?

 分からない。自分が何のために医者になろうとしているのか。

 

 結局は自分が安全ならばそれでいい。

 これって甘えなのだろうか。普通はそう思うのではないか。何よりも自分が大事。

 実際問題、中村哲のように戦地へ赴いて医療活動をしようなどという日本人はあまりいないということが何よりの証拠だ。

 自分を律するためにも、尊敬する人は誰かと聞かれたら必ず中村哲と答えるようにしている。

 自己中心的な本当の自分を戒めるために。

 

 嗚呼、私はなんと卑怯で臆病な人間なのだろう。

 優等生の皮をかぶった、自己中心的でプライドが高くて、学歴を富を名声を求めたい人間なのだろう。

 私は誰だ。何者になりたいんだ。

 ここに赤裸々にかくうちに、自分が何をしたいのかが見えてくるような気がする。本当は自分は医師として働きたいのかどうかすらも分からなくなってくる。

 本当はみんな思考停止していて、高尚な夢という皮をかぶっていることを忘れようとしているのではないかと。いざお金があったら怠惰に暮らすのではないかと。

 

 天使と悪魔。性善説性悪説。なんて言葉が脳裏をよぎる。

 天使を私の心に常駐させればいいのかもしれない。あるいは、自分自身を本当に絶望的な状況に追い込むのもありだろう。そうすれば物事や日常のありがたみが分かるだろうから。

 自分はあまりに恵まれすぎている。はっきり言って自分はお金の感覚がめちゃくちゃ。お金に対してのありがたみは一切ない。うん本当にない。何故ならば困ったことが無いからである。

 でも私は有難がるフリをしている。そうすると褒められるから。

 ふふふ、私ってホント最低ね。

 

 どうしてみんなは自分の夢があって、それに向かって走り抜けられるのだろう。私ならその夢を馬鹿馬鹿しいと思ってしまう。冷めている。

 だけど、それだと浮いてしまうから私も夢をでっちあげる。出来が良いから褒められる。

 嗚呼、あぁ。書いていて心が痛い。ここまで自分の闇を引き出したことがあるか。

 

 結局どうすればいいかって?悪魔を忘れれば良いんじゃないか?

 そこで思考停止するのが丁度良いんだろう。

 やはり人には欲にまみれた部分もありつつ、他方で慈愛の心も持っているはずだと思う。

 

 高尚な目標なんていらない。生きて、誰かを癒して、感謝されて、感謝して…

 そんな繰り返しの人生じゃダメですか。ワガママですか。

 

 もとある色はなくならない。

 でもそれを治す方法がたった一つある。

 

  ___私は太陽が描きたかった。太陽が遠くに行っちゃったから。でも本当は私が遠くに行っていたのだ。

 失敗したら直せばいい。絵は初めからそこにあるわけじゃない。色々な色を混ぜて、塗り重ねて、なんどもなんども書き直して、書くの。皆から貰った想いを乗せて。

 ___光はそこにある。