俺は言葉を大切にしている。
だからこそ文面でのやりとりにはめんどくささがある。
ごめんねとか、ごめんなさいを軽い言葉にして逃げるようなやつ。俺は逃げていると思う。
俺は言葉を大切にしている。
だからこそ文面でのやりとりにはめんどくささがある。
ごめんねとか、ごめんなさいを軽い言葉にして逃げるようなやつ。俺は逃げていると思う。
焦燥感が俺の一番の原動力。
それはここ数年でひしひしと感じている所のものだ。
自分のからに閉じこもって保守的に考えていても結局は現実逃避にすぎない。
もっと失敗を恐れずにオープンに考える。焦燥感もオープンに受け止める。そこで閉じこもってても現実は何も変わらないんだ。
こうやって自分が危機的状況に立たされるとき、すごく生を実感する。
最近つまらない考えしかできなかったのは、自分があまりにコンフォートゾーンに入り浸っていたからだ。
自分はただ褒められたい、もっとみんなに肯定してもらいたい。そんな思いがガキのように爆発してしまっていた。
でもお前はその分努力しなくちゃならない。それをもって称賛に値するのだ。
お前はいま成長へのステップを一歩一歩歩み始めている。
だから、負けるな。頑張れ、俺。
書くのがまた半年ぶりになってしまったな。
また俗っぽい考えに呑まれて稚拙な文章しか書けなくなってきてしまったのが、衰えを感じさせる。
いずれはそのことにすらも気づかなくなってしまうのだろうが。
まずは近況報告。
最近はわりと穏やかに暮らしている。
かなりの頻度で活動していた運動部の主将を終え、たがが外れたように自分のやりたいことに没頭している。
やりたいことというのは、平たくいえばジャズと女。
一見するとバンドマンのような生活にも見えてしまうのが心が痛いところではあるが。
母親からの指摘を受け、部内で新しい彼女を作り、ジャズ漬けの生活を始めている所。よく彼女と一緒に歩いている所を後輩たちに目撃されるため、主将が終わった瞬間に女と遊んでいる怠惰なヤツと思われているのだろうなと過度に不安に思ってしまっているが。
まあその彼女についても、彼女の母親が下品だなんとかといって、交際を反対されているのだが。そんなことを言われてしまってはもうキリがない。
そんなにも親同士の関わりというのは重要なのだろうか。それはもはや自分本位のことなのではないか。なんとかして、彼女の魅力を伝えていく必要があるな。ただ相手のことを好きだと思い込むのではなく、なるべくフィルターを取り除いたとしても彼女のことを好きだといえるような理由を見つけなければならない。
そんなことはどうでもいいか。なんだか身のまわりに考えなければならないことやストレッサーがあると、自分の哲学の幅が狭くなっているような感覚を覚える。
今までは特に何も考えていなくても、野心というか自分の思っていることをつらつら書いてもそれなりに面白いものになっているような気がした。実際見返してみても面白いなと思える。
でも今はもう。アイデンティティが定まってしまったからだろうか、もう面白いことなんて書けやしないし、自分の安全地帯にずっといるような気がする。
最近は何を自分は思って生きているだろう。何を思って人生を豊かにしようと思っているのだろう。
今日はそうだな、組織の中での立ち回り方を考えてみようかな。
特に幹部を終えた代としての立ち回りと、俺の考え方の偏りについて。
結論から言えば、でしゃばりすぎずにただ組織の活性化のために存在しているだけというのがベストなんだと思う。
ついこの前までは、俺が動けるフリーな存在としてどんどん組織を引っ張っていこうとしていた。
そしてそのことに対する報酬(称賛だったり労いの言葉)を求めていたのだ。他の分野では自分はそういう報酬を受けることがないからなんだと思う。
やっぱり人は生き甲斐、やりがいを求めて行動をすると思うけれど、一番の原動力は人からの感謝や労いなんだと思う。もちろんお金もあるけど、それだけだとむなしいかなって思う。誰かに自分を肯定されている感じが欲しいよ俺は。
でも同時に、肯定されてしまうとそれに甘えて成長しなくなったり、野心を持たなくなってしまうだろうから難しいところだけどね。
自分中心で動きたいから、彼女(現部長)が企画してうまく進んでいるのを見たりとか、彼女のライブの出番が増えてもそれを素直には喜べない。
俺が自分中心で、No1でありたいという気持ちがあるからなんだろう。
でも、自分より優れた人間はいるし、まして自分が組織の長老となってまで下の人間の養分を吸い取るのは愚か極まりない。
いつでも、上に立っている人間というのは労われにくいものなのかなと思う。もちろん労ってくれる優秀な下がいるのが理想だが、基本は心を強く保って下のサポートをしていくしかないのかなと思う。期待はしない。
ねぎらいは身内とか大切な人にしてもらうしかないよね。
自分の肯定感をもちつつ、野心を持ちつつ、頑張ります。
また自分を見つめる時間がしばらくない日々が続いてしまった。
最近では家にいる時間・家族と過ごす時間というのも短くなってきてしまったので、もはや自分自身を見つめることが安心感というか、実家にいるような気分にさせる。
この一年弱、いろいろな経験をした。とてもその内容が自分にとっては密度の高いものであり、その分心労もかなり大きいものになっている。
若干鬱のような感じで、本来はたやすい仕事にもとりかかるのに一時間以上かかってしまう。
具体的に今何が大変なのかと言えば、大きく二つ。部活動と研究室だ。
部活動は弱いくせに主将なんかしてしまい、少し頑張りすぎたせいでヘルニアを患ってさらに動けなくなるという情けない姿を後輩に見せつける日々を過ごしている。
研究室はというと、これもまたブラックなもので、教授と講師がなんともおっかない人間なのだ。機嫌を伺って話さなければならないという緊張感があるのと、部活で忙しいがために思ったより研究に没頭しきれずにいる。それでも朝10時から18時くらいまで長いこと拘束されているわけなので、普段の授業よりもかなり精神的ストレスは多い。もちろん過ごしている時間の充実度は大きいのだが。
部活も大変とは言っているものの、案外続けてみると悪くないものである。
へたくそな上に全然動けないわけなのだが、自分なりの役割を見つけて今は上手くやれていると思う。自分は運動神経は決して良くはない(というか、体が硬いのがそのパフォーマンスをがた下げしているような気もする)ので、動けないおかげで全体を見て指導するという力はなぜか無駄についてきているような気がしている。もちろん動けないので説得力0の中で、主将という権力をふりかざし、皆を納得させているような形になっているのかもしれないが。
やはり役割というのはとても大切。多分自分は主将が終わったら、いよいよ役割がなくなって部活から足を遠ざけることになるのだろう。以前他の部員からも同じことを言われてしまった。もう見透かされている今、主将をやってしまってよいものかと思ってしまってはいるが、力を抜いて頑張っていこうと思う。
この部活を通して、声も出るようになってきたし、仕切ったり周りを見て鼓舞する力はついてきたと思う。あとは必要なときに怒ったり、グイグイ引っ張っていけたりする力があれば良いのにな。
怒るというのは難しいもので、嫌われたりしらけさせてしまったりするという恐れがためらいを生んでしまう。その覚悟をもって、その組織や人のために少しでも行動を変えてもらい学んでもらうために必要だと判断された場合にはそれをする勇気が必要なのだと思う。
まあ残りの生活を頑張りますよと。
ほんでまあ研究の方が辞めたいわけだが。
ほんのまだ2か月しかいないわけだが、研究者というよりも社会人的なプロフェッショナリズムを学ばされているような気がしている。
もちろん研究するのに、実験に失敗した理由や実験計画について論理的に考察することはとても大切だということは学んだ。
しかしそれ以上に、物事の優先順位を考えることや、話を聴くときはとにかくメモを取ること、理不尽な叱責には耐えぬく必要があることなど、人としての学びが大きかったように思う。
周りは学生ではなく社会人が多いために、定時までは拘束されているため、自分もなんだかいなければならないのかと考えてしまう。彼らも人間で、上司である教授や講師がいないときは、羽を伸ばして早めに帰宅したりのんきにおしゃべりしたりしているのだ。
彼らがいるときの緊張感たるや。まあそれもまた上に立つ人間としては必要なことなのかもしれないな。
今後自分は論文紹介と進捗報告をしなければならないので、しんどい実験と叱責の日々が続くが頑張ろうと思う。
最後に、彼女のこと。
俺は本当に人を見る目がないんだと母親に号泣され、失望された。
このしんどいストレスフルな日々の中に俺は癒しを求めていたのだろう。見た目や声のかわいらしさで人を選んでしまったのかもしれない。あとは話しているときの面白さかな。
正直、知性があるとかは考えていなかった。俺が何とかすればいいやって思っていた。
でも多分それだけじゃ将来はダメなんだ、そう大人は言う。両親のような重いずっしりとした安定感がある女性でないとダメなんだと。
言われれば確かに彼女のことは、友達として一生ふざけあってのほほんとした暮らしをしていくにはもってこいなんだと思う。けど、いずれ人生において訪れる関門には彼女と二人だと立ち向かえないのだと思う。というか、彼女の世話をすることが自分にとっての負担になってしまうのではないかとも思うのだ。
そんな危機感を、俺は彼女の屈託のない笑顔を見ると忘れてしまうのだ。本当に愚かな男よ。
もう一年になるけど、そろそろ俺も意を決しなければならないのだと思う。
どうか、これらの私の身の回りの物事に良い結末が訪れますように。
それは全部お前の勇気次第だけどな。
今日もまた憂鬱な用事がある。
布団でだらだらしてもう一時間。なんて生活が最近は1/2を占めているんだから、これがあと11か月ももつのだろうかと、先が思いやられる。
早くこういう用事が終わってくれれば、残りの時間を有意義に使えるのにと思うわけだが、自分には用事の時間を動かせるような権力はないので、その願いはむなしく終わる。
どうしてこうなってしまうのか。
結局は、現実逃避の一言に尽きる。憂鬱な用事について考えたくないがために、他のことで脳を満たそうとする。一番ラクなのは、手元にあるスマホから容易にアクセスできるSNSになってしまうというわけだ。
解決策を考えよう。
理想は、すぐに憂鬱な用事について、事前に出来ることを済ませてしまい、残り時間は好きに使うということだ。性格上、心配事が尽きないため、これは難しいとも思われるが、多少の鈍感さは必要にも思う。
鈍感さというか、どーんと構える姿勢というか。
結局ビビって待っていて何もしないなら、もともと何もしないつもりで何もしなければ良いのだ。
あとは、憂鬱な用事を憂鬱でなくするということも解決策だが、これが出来ていたら警察なんていらないさという話になる。
解決策といっても、こんなものになってしまう。
たまには思考を投げ出しても良いさ。なんとかなるやって、他のことに目を向けたって良い。
一番ダメなのは、現実逃避の時間を無意味な所に費やすところだ。
あと最近気づいたのだが、他の人は俺の決断をそんなに懐疑的に思ってはいない。
むしろ、表面的なところを大切にするのが大事ということがある。案外、リーダーシップをとるにあたっては自信のなさを見せるのは良くないようだ。
俺としては、表面より実際行っていることについてもっと見てほしいのだが。そうもいかない人間が多いようだ。
強く、積極的に、堂々と生きよう。
これが今年1年の課題になりそうだ。
学生時代のひとつの山場だと思え。これを乗り超えたら強いぞ、俺。
かっこいいぞ、頑張ろう。
最近、言語化しようと思ってもすぐに出てこない。
決して脳内にアミロイドβが沈着してしまったというわけではないと信じたいが、若干ドーパミンの出が悪くなっていることは確かかもしれない。
↑もおとなしく、認知症になったわけではないと信じたいが、と書けばよいのに、わざわざ習いたての知識を書きたくなっちゃうところ、子供心ながら書いてしまっているなと自覚してなんだか懐かしい気持ちになる。
そう、俺がこのブログを書いているのも、自分の思ったことはそのまま書こうという意図があってのことだ。自分にだけは正直でいたい、自分だけは自分のことを分かってほしい。だからこのブログを書いている。他の人に嘘をついていたって、分かってもらえなくたって構わない。
言語化しようと思って出てこないのは、周りの誰かに迎合しようという思考が働いているからではないか。最近自分の気持ちを封じてばかりなんだよ君は。
そんな生活が続くのもあと1年かと思うと、気が重い。
事の経緯を話そうか。いつからだろう、俺が部活に行くのが億劫になったのは。
1年前、後輩が自分よりも上手くなった時あたりだろうか。
部活というコミュニティーにおける自分の存在価値を見失った瞬間だったように思う。
そもそも運動神経が良くなく、引っ込み思案な自分。一旦引っ込んでしまえば、負の連鎖が生まれること間違いなし。
自分はできない、だから頑張ろうとはしないでなるべく省エネに動こうとする。どうせ自分なんて頑張っても意味がないし、それでもがき苦しんでいる所を誰かに見られるのは苦痛であると。誰かと比べて下手な所を見られたくないと。
上手い人だって誰だって必ず踏んでいるはずのプロセスすら踏むことが出来ないのである。
そうして自分は上手くなることを自ら放棄するのである。
案外他の人には自分のこういう思考がバレてないのに。
よく、周りからは何かを秘めていると感じるといわれてしまう。さすがにそれはバレるよね。そのコミュニティーのことをあまり好いていないのがもう伝わっているのかもしれないな。
問題なのは、俺が来年そこの部長になるということである。他にやれる人間がいないから俺に回ってきたのだが、一番弱い俺が部長になってどうするのだという問題はある。
みんな自分に責任を押し付けたいだけではないのか、もはやいじめなのでは、と被害妄想が爆発しそうになる時もある。
みんなが俺に対して何かを秘めていると感じるのと同様に、俺も周りに対して一定の分からなさを覚えている。
この不安感も、ただただ俺のコニュニケーション不足に起因するところなのだろうか。それとも俺の考えすぎなのでしょうか。
今からこの不安感に対する解決案を書いていこうと思う。辛くなったら見返して、一年間頑張ってみてほしい。
一.頑張りすぎないこと
君はいろいろ考えすぎている。それがよくも悪くも働くだろう。周りからどう思われるかなんて気にするな。多少自信を持ったって良い、周りから不満を言われるのも仕方のないことだ。それが長としての役割。君の人格が否定されているわけでないし、それは君のためではなく部のためなのだから。仮に指摘する人間がいたとしても、そいつらのことは気にせず、冷静に受け止めよ。力を抜いていきましょう。死ぬわけじゃないんだから。
一.どうせなら楽しんで、頑張ること
矛盾しているだろうか。どうせ1年間拘束されるんだ、気持ちをアクティブに切り替えてみてはどうだろう。自分で計画を立てて実行する。自分が最も生きていると感じられる瞬間ではなかろうか。それこそ楽しむべきであろう。人生で二度と経験できない感覚だ。俺はもともと内向的だから、体育会になじめるかというと疑問ではあるが、やってみるしかないだろう。若いんだから大丈夫。
一.他人と比べない
勝ち負けを競う競技ではある。しかし、比較するところに本質があるのではない。というか、それを気にしている時点で勝てるようにはならない。ただ、それが楽しいからやるのであって。誰かがうまいから自分が委縮して出来なくなってしまう、なんてことはしたくないわけである。
これが案外難しいのだが、頑張るしかない。物事には得意不得意があるわけだが、部長だからって必ずうまくある必要はない。求められるのは、人間性、部活動に対する真摯さではなかろうか。
やけくそにならない、精神力。耐え抜け。お前は強い、言い聞かせるんだ。人が変わったようにな。
今起きなかったら人生が変わらない、そう思えたヤツから明日が変わる。
って革命の歌詞にあったようななかったような。
というわけで、心を強く持ちましょうというのが過去の私からのメッセージです。
こればかりは脳筋的な考えだが、仕方ないことだ。頑張ろう!!!
メモ書き程度に残しておきたいことがある。
その日その日を過ごすときに、何か一つ面倒なイベントがあると、そのイベント以外の時間の過ごし方がとても勿体なくなってしまうのだ。
その時間が、その嫌なイベントについてモヤモヤと考える時間へと変わってしまうのだ。
例えば、部活が夜にあるだけでも、その日の朝から起きる気力がなくなるし、午後も結局少ししか活動できなくて悲しくなったりね。
解決策は2つある。
1つ、そのイベントそのものの印象を変えること。それを楽しいと思ったり、嫌だったとしたらなぜ嫌なのかをかんがえることが必要だからだ。
2つ、そのイベントのことは忘れて他のことをとにかくやる。楽しいこと、アクティブなことをすればよいのだ。
私は臆病な性格、慣性の法則に従っていたいという気持ちから、何か嫌なことがあると、そのことについて悶々としてしまい、他のことに手がつかなくなるのだ。(他のことというのが、緊急性を要さない場合に限るが)
今日はとても楽しみにしているイベントがあったので、久しぶりに朝早く気持ちよく起きることが出来たのだが、最近それが出来ていなかった。
今日久しぶりに気づくことが出来た。
やっぱり、十分睡眠がとれているのに、朝すっきり起きられないのは、メンタルの問題なのだなと。
朝は希望をもって目覚める、どこかの副首相が言っていたような気もするが、これはとても大切なことのように思う。
具体的な解決策としては、部活で何をするのかを早急に決めたうえで、他のやりたいことに手をつけるのが現実的だろうと思う。
集中が散漫にならないよう、やりたいことをメモしておくのも大切だろう。
というわけで、明日はレポートと免許の学科試験の勉強をします。
頑張れ自分、楽しく行こう。怖がることなんてない。破壊すればいいんだよ、怖い観念なんて。変われ変わるさ。