ぼくの脳内

ぼくの脳内を言語化してみた

Minority

 果たしてマイノリティーの綴りは合っているのだろうか。
 

 俺は昔はマイノリティーだったと思う。ひょっとすると今もそうかもしれない。

 幼稚園の頃、「日本,アメリカ,韓国,中国の中から1つ選べ」というお遊戯があった。記憶が定かでないので、本当に意味不明なお遊びだが。
 皆、国名が書かれたシートへ行き、ルーレットが向いた所の国を選んだ人が勝ち(?)というルールだった。
 何故か知らないが、俺以外全員アメリカを選んだ。本当に何故だろう。ちなみに、俺は日本を選んだ。今も昔も当然の決断と思っている。
 結果はどうなったかというと、ルーレットでアメリカが選ばれた。
 なんとも言えない悲しみが僕を襲った。いや、多分あの頃の僕はケロっとしていたであろう。しかし、よくよく考えれば、僕はマジョリティーの恐ろしさ、仲間外れの恐ろしさを目の当たりにしていたのかもしれない。

 

 小学校へ進み、俺は不登校になった。原因は、小二の時初めて職員室へ行き、受付へ行かず、直接教師たちが出入りする扉から先生を呼びつけ、その時に教師全員から

 は?(白目)

 

 と言われたことだろう。これも常識を知らないマイノリティーに対する、マジョリティーの恐ろしさだ。まさか、教師から突き付けられるとは思わなかった。まさに、反面教師というやつだ。
 でも、側にたまたまいた校長は、俺を見て慰めてくれた。流石校長。やはり彼だけは別格の存在だったなぁと今でもしみじみと思う。それに比べて一般教員たちは本当に酷い。
 

 その後、新たな担任のおかげもあり、少し不登校から脱出できた。それから真面目に人生を送っていたら、いつの間にか学級委員に推薦され、そのままクラスの中心人物に。高校の俺とは180度逆だ。
 

 そう、今の俺は、すみっこでひそひそと学校生活を送っている。陰キャラというやつなのだろうか。

 とにかく俺は、マジョリティーが嫌いだった。もともと俺がなるべくしてなったのかもしれないが、、。しかし俺は思う。

 本当は皆マイノリティー

 
 俺が味わってきた教育からはそんなの考えられないかもしれない。
 でも、皆本当の自分を出したいのに、均質であることを求められるがために、それを封印して時を過ごす。

 あぁ、なんて窮屈な人生なのだろうか。
 それを歌った曲がいくつもある。人々はそれを見て、感動する。
 しかし、その人々もまた、マジョリティーなのである。
 結局、窮屈な人生を送るしかない。

 人々は間違いを犯すことを恐れる。人と異なることを恐れる。そして実際に異なるものを好奇の目で見る。また、軽蔑する。

 

 もう少し無関心でも良いんじゃない?自分にも他人にも。

 

 自分がどうなるかなんて、そんなの自分で決めればいいじゃない。それを受け入れてくれる共同体で暮らせばいい。無いなら自然と暮らせばいい。

 

 俺は今、窮屈な日本に居て、窮屈な教育を受け、はたまた窮屈な夢を持たせられているのかもしれない。
 でも、俺はその窮屈な夢に向かって突っ走らなければならない。皆はそれを凄いと言うけれど、何が凄いのか分からない。
 本当にそれは価値があるのだろうか。俺はミュージシャンが羨ましい。自分の感情を表現するセンスがあれば、それを皆は受け入れる。
 でも、今羨ましいって思った自分は愚かだ。だって、売れるためにはマジョリティーの力が必要だから。それで、その人もマジョリティーになったら、一体どうなるの?
その人の生きる意味ってなくなるんじゃないの?

 

 より自分が、有意義に生きてると感じるためにはどう過ごしたらいいのだろう。
 

 何も考えるな。自分が正しいと思ったことが正しい。

 

 そうか。生きることを考えていたら、俺は生きられなくなる。それを考えるのは、結果に対してする問題じゃないか。

 だからさ、俺は今の現実も受け入れるよ。だって、何も考えられないように洗脳されてきて、自分の信念とやらも植え付けられてきたんだから。
 とにかく日本は愚かだよ。こんな量産型ロボットなんて生み出して、何が楽しんだろう。ある意味ナチスって感じ。

 

 とにかく、社会におぼれたときの俺に是非読んで欲しい。

 お前は孤独で上手くやってるか?

 お前は孤独。お前はお前一人しかいないんだ。マジョリティーになってる自分が本当に正しいのかいつも問い続けろ。

 そうやっていれば、きっと。