ぼくの脳内

ぼくの脳内を言語化してみた

「本気になる」ということ

 一体、俺はこの春休み、何をしてきたのだろう。

 

 徒然にこう思うのが、日課になってきた。この時間こそが無駄なのに。

 久しぶりに塾に行った。皆、朝から勉強してるんだってさ。

 それなのに、俺は何をしているんだろう。ゆっくりしすぎ。これじゃあ、数弱認定されるのも無理はないぞ。お前の行きたい大学に、こんな努力してないやつが入れるわけがないのだ。

 お前は、何だかんだ、受かると思っている。

 

 敵を知り、己を知らば、即ち、百戦百勝。でも、お前は敵も己も知れていない。

 どっちも、都合の良いようになると思っている。

 

 愚かな人間。愚かな自分。そして、愚者の道を歩もうとしている。

 お前は何になりたいんだ。ほんとは何もしたくないんでしょ?

 馬鹿だねぇ。この世界で生きていくためには、それじゃあ通用しないなんてことも知らずに。

 じゃあ、誰が悪いのかって?まあ、教育者だろうかね。それとも、自分なのだろうか。

 俺の親は、俺を物扱いしているように思う。勿論、ここまで育ててくれたことには感謝しているが、彼らの奥深くには何かしらの闇を感じる。

 彼らは、俺に「勉強する意味」を教えてくれなかった。何故、俺が中学受験をしないといけないのか聞くと、怒られた。
 あの時の気持ちを忘れることは無いだろう。

 もっとも、向こうにそのことを問うと、一切覚えていないと言うが。本当にそれが許せない。

 洗脳だったんだな。あれって。でも、今思うと仕方ないのかもしれないし。でも、勉強することの意味を教えられないで、勉強させられているのでは、こちらとしては本当に意味が分からない。

 人間は、自分のやっていることに意味を見出した時、それに関して、最高のパフォーマンスを発揮できる。俺はそう思っている。

 好きこそものの上手なれってやつだ。

 そもそも、この「洗脳」をしてきた張本人は、音楽家の母親なわけだ。父親は、あまりこちらには介入してこなかった。これが逆だったら、どれだけ俺が勉強を好きになっていたのだろう。

 音楽しかやってこなかった脳無しに、勉強することの意味なんて、教えられるわけが無かったのかもしれない。または、単純に精神障害を伴っていたという可能性もある。

 これだって、一種の児童虐待に他ならない。でも、虐待だって思ってなかった。他の家もそんなもんだと教わってきた。
 誰にも助けを求めることなんて出来なかった。

 こういう背景を持っている自分がいるからこそ、内に色々な感情を秘めることが出来たのかもしれない。また、母親の機嫌取りには、幼少のころからとても敏感にやってきたため、他人の感情を察する能力に加え、理不尽なことについても、無条件に受け入れる忍耐力すらも手に入れた。

 でも今は。状況が違うのだ。

 勉強の意味を理解し、母親も俺の勉強に介入できないほど、自分が高度な所に到達した。
 だからこそ、ここからは自由意志に基づく勉強がスタートしているわけだ。

 もうこんなこと書いてる場合ではないのだが、過去の記録としては重要だ。

 さて、己との戦いが始まる一年。

 どう過ごすかは、キミシダイ。