ぼくの脳内

ぼくの脳内を言語化してみた

このままだと平和が危ない

 最近、流行りのアニメを一気に見てしまった。

 

 ようやっと大学生らしく、ゆっくりとした夏休みを過ごせているような気はするが、依然として自分の性格の本質は変わらないものだ。

 

 大学生になっても、夏休みの課題なるものが与えられるのだが、取り組む姿勢が高校までと同じなのだ。いや、それよりも悪化しているかもしれない。

 

 私は完璧主義ゆえに、課題が与えられてしまうと、それが終わるまでは他のことが手につかない。さらに酷いことに、完璧にできないことが分かっているからその言い訳としてギリギリまで手を付けないのだ。

 

 これが何を意味するか分かるだろうか。

 遊ぶにしても、課題のことが気がかりでモヤモヤしっぱなし。全然楽しめないのである。

 それが夏休み終わるまでずー--っと続くのである。

 

 そんなのは嫌だ。

 本当なら、前期の復習をし、英語力並びに生物の学習を進めるはずだった。その計画が課題によって阻害されてしまったのだ。

 

 私はおそらく、何も課題を与えず"自由"なる時間を与えた方が伸びるタイプなのかもしれない。

 しかし、そんな環境に身を置くことはできない。大学という機関に所属する以上、つねに課題が与えられ続け、医師になるための研鑽を積まなければならないのだから。

 浪人時代に心地よさを覚えていたのは、なんとなく自由な環境に自分があったと感じていたからなのかもしれない。

 

 後期の授業からは私はどうなっていくのだろう。

 と時折風呂の中で考える。想像してなんだか怖くなるのだ。

 

 私は後期からとある英語プログラムの授業を取ろうとしている。

 部活に加えてその授業を取ってしまうと、オーバーワークになりかねない。

 私は完璧主義だから、なんでもかんでも取ろうとしているのだろう。断捨離というのが苦手なのだろう。部屋が汚いのもそのせいだ。

 

 でも、自分はもっとレベルアップしなければならないと思っている一面もある。

 自分にはない創造力を引き出したい。もっと英会話ができるようになりたい。

 

 果たしてその野望をかなえるのに、強制力のあるプログラムに参加するのか、自分のペースで気ままに自由に進めるのかというのが難しいところだ。

 

 現時点でプログラムへの参加を検討している以上、強制されてもなお自発的に学習ができるかがカギになる。

 正直、強制力のあるものについての姿勢は、"参加はするものの、積極的には取り組まない。むしろ防御の姿勢を見せる。"というのが私にとってはよくあるパターンなのだ。

 その場において、何かミスをしないというところに焦点を当てている。そんなものは気にせず、自分の興味へ突き進んでいくという攻めの姿勢が欠如しているのだ。

 

 後期からはそういう姿勢も必要なのだ。

 

 大学に入ってから常々感じていることだが、私はいつも守りの姿勢でいる。

 誰かからどう思われるかとか、周りのみんなについていこうとか。ほんとに男らしくもないし、全然意味がない。

 

 もっと自分を解放していかなきゃ。そうでないと将来いつか破綻するような気がしてならない。

 私よ。今がその転換期なのだと思う。私に考える時間を今ここで与えてくれているのだ。

 

 後期からは、尊敬するクラスメイトの彼のように。くだらないことにも楽しく、どーんと構えて、勉強することに楽しみを覚えたい。

 

 頑張るます。