ぼくの脳内

ぼくの脳内を言語化してみた

いがいだね

 

 僕も将来こういうことを言われるんだろうか。

 というか、昔もかなり言われてきたことなのだ。

 

 この言葉をどうとらえるか。とても大事なことだと思う。

 

 色々なcontextでの使用が可能だ。

 

 例えば、普通の会話の時。

 

 筋肉質の男の趣味が、園芸だったとしよう。それに対して、聞き手はこのフレーズを発するはずだ。単純な感想として。

 

 個人的には、この文脈でさえも不自然だと思うのだが、次の例を見れば明らかだろう。

 

 いつも真面目な奴が宿題を忘れたとき。

 

 これは経験談なのだが、俺のことを良く思っていないやつが、声高にそのフレーズを口にしたのだ。

 

 流石にこれは嫌味として使っているということになる。

 

 勿論、嫌味でなく、ただなんとなくフレーズとして出る場合もあるだろう。しかし、それでもこれにはあるparadoxが潜んでいるように感じてならない。

 

 

 少しだけ考えてみたのだが、このフレーズは、相手に対して非常に失礼なのではないかと考えている。

 

 実際経験した僕は当時、「俺は常に宿題を提出する男ではない!宿題を忘れるのも、俺という個性だ!!」と叫びたかったのだろう。

 ここで言いたいのは、このフレーズは、相手の個性を一瞬だけ受け止められないときに使われるのではないかということだ。

 

 冷静に考えると、この解釈はかなり意地悪かもしれない。ただ、このフレーズを皮肉な意味で使われて以降は、ずっとこの解釈しか取れなくなってしまった。もっと純真でありたいと思うばかり。

 

 このフレーズが常にそういった効果を相手に与えうるかは分からないが、ひとつ確実なケースとしては、相手がマイナスなことを暴露したときの聞き手の受け答えとしては、このフレーズは不適だろう。

 

 相手は、自分の個性を否定されることを恐れつつも発言しているわけだから、聞き手である我々は、基本的にはそれを肯定する必要がある。穏便な関係を保ちたいのであれば。

 

 そこでそのフレーズを聞かされると、正直相手は「ウッ」となるはずである。「やっぱり、私はダメだよね…」と。

 

 結局、他人から押し付けられた自分の像と、求める自分の像が乖離している場合に於いて、このフレーズは暴力的な効果を発揮すると思う。

 

 だから、聞き手の我々にはこのフレーズを飲み込んで、代わりに薄いreactionで返すのを推奨する。

 

 そうすれば、相手側も「あれ…受け入れてもらえてる…」という風に感じるだろう。

 

 以上、余計なお世話啓発でした。