ぼくの脳内

ぼくの脳内を言語化してみた

時の流れ

 前回日記を書いてから、しばらくが経ったがいかがお過ごしだろうか。

 俺の生誕祭の日に何故かアクセスが急増していることから、おそらく俺の素性はもうバレてしまっているのかもしれない。案外世界は狭いものだなと実感したところだ。

 知られたところで、そんなに困る情報は書いていないつもりなのだが、、、どうだろうか。ネットってやっぱり怖いよね。

 まあ、都合の良い所にいつも覆い隠されてて自分でも分かってるけど無視してるよね。

 さて、受験生活、何事もなく過ごしているような気がする。ここ2週間はこのサイトの存在すらも忘れていた。

 それでも何故いつもこの記事を更新しているのだろうとふと思っていた。

 結局のところは、日記はジャムのようなものであり、自己の保存装置だからなのだろう。
 いつか大人になって、もう一度見返して暇をつぶすときがくる。
 そう、現実から逃れる道具として、このサイトを利用しているわけだ。だから、誰かに見てもらおうとか、共感してもらおうということはあまり意識していない。(時には意識するかもしれないが(笑))

 もうこの生活にもいい加減慣れてきた。肉体が動かないことが当たり前になり、インターネットは、我々の時間空間の境界を徐々に狭いものへと変貌させている。

 むしろ、このスタイルに力を入れようとしている組織もいるくらいだ。
 それは良いこと、、、もちろん、ある観点からはそうだろう。作業の効率化が主だろうが。

 しかし、我々は進化するとともに必ず何かを失っている。新たな技術の光がまぶしすぎるから、その光が我々の大切なものすらも見えないものにしてしまうのだ。

 具体的に挙げるなら、我々の帰属するべき場所が今見失われつつあるように思う。
 自分のふるさととは本当にどこなのかを考える必要がある時代になりつつある気がする。

 

 そうでなければ、窮地に追いやられた時の心のより所が無くなってしまうだろう。

 こんな今だからこそ、自分は何者なのかを考えるのも良いだろう。