ぼくの脳内

ぼくの脳内を言語化してみた

故人を偲ぶ

 これだけ長い休みだと、色々考えることが多い。

 今日は、昨年亡くなった祖父のことについて、色々書いてみようと思う。

 

 彼は、俺が幼い頃から随分と可愛がってくれてたように思うし、彼の人間性からは色々学ぶことが多かった。カッコつけで親分気質な彼を、純粋に「カッコいい」と思う自分が居た。

 彼がある日、当時小学生だった頃の俺の前で、すっころんで顔面大出血。7針位縫った、、、という出来事だけは記しておこう。あの時、どうして俺は手を差し伸べてやれなかったのだろうとただただ後悔したのもあってか、祖父ではなく、俺が泣いていたのをよく覚えている。

 

 自分が今書きたいのは、彼が亡くなる直前に、俺が見舞いに行った時の話である。

 部活が忙しかったこともあり、かなり体調が悪い状態で見舞いに行ったのもあり、あまりいい顔で居られなかった。
 それを向こうは、気を遣っているからなのだろうと解釈してしまい、「悪かったな」と、本当に申し訳なさそうな態度で言われてしまった。
 でも、俺は実際こんなにも変わり果ててしまった祖父を前に、笑顔でいるなんてことが出来るわけなかったのだ。
 俺は苦笑いしかできなかった。

 昼食を一緒に食べた後、ベッドに戻った彼と、談笑(あくまでこちらが一方的に語り掛けるという形だが)をした。
 おそらく彼との会話は、これで最後になると確信していたため、過去の思い出話に浸ることにした。(もちろん、顔面大出血の話も込みで(笑))
 
 そして別れの時。なんだか、俺はもう彼とは二度と会えなくなるなんて、実感が湧かなかった。だから、別れを惜しむことなんで無かったのだ。
 でも、会えなくなることは心のどこかで分かっていた。
 感情が交錯している中で、最後に俺が発した言葉は、

  

 「楽しかったわ」

 

 

 これには祖父も流石に苦笑していた。言葉のチョイスを明らかに間違えたと思った。今でも本当に後悔している。終始、調子悪そうにしている俺が、本当に「楽しかった」と思っていると思えるだろうか。

 

 本当の所はどうなのかと言えば、その日自体は楽しく無かった。

 ただ、今までに彼と過ごした日々を振り返って、「楽しかった」。それを伝えたかったのだ。でも、あまりにも不器用すぎて伝わらなかった。

 本当にやらかした。

 仏となった彼に、いくら弁明したって、それはただの神頼み。あの時の彼の気持ちこそが一番大事だったのだ。
 もっと、俺らしい言葉で、今までの感謝を伝えるべきだった。

 彼との面会を終えた後、彼に見えないところへ行き、涙を流した。こんないい子ちゃん、どこにいるんだろうか。隠れて泣くなんて。ドラマじゃないんだから。

 でも、なんか人って、感傷に浸るとき、ドラマみたいに無駄にカッコつけちゃうんだよな。

 

 祖父には、本当に申し訳なさで一杯だ。毎回俺が来る毎に、もてなしてくれたのに。
 俺の最後の感謝がまともに言えないなんて、最低だ。

 そうだよ。俺は今ここで、それを弁明することで、罪を滅ぼそうとしているわけだよ。

 

 祖父へ

 孫です。伝えたいことは色々あるんだけど、一番最後に会った日。感謝を上手く伝えられてなかった。ごめんなさい。

 そして、今まで本当に有難う。お疲れさまでした。ゆっくり休んでね。

 

 自己満足に浸る孫より