ぼくの脳内

ぼくの脳内を言語化してみた

時の流れ

 時とは人が作り出した概念。物理的な事象を解析するためにも都合のよい概念だと思う。時間で微分積分をして未来を予知するのだ。
 しかし、その時間というのが人々の感情、能力を動かしているというのも忘れてはならない側面である。
 

 ——これは時間の問題である。
 

 時間君が動いてくれれば我々は何もしなくても、問題を解決してくれる。良いことと思うだろう。楽だなと思うだろう。その間、自分たちは現実から目を背けていることには気づかずに。誰かが問題を対処してくれていると信じているかもしれないが、それは何の解決にもなっていないのである。
 さらには、時間によって人は忘却する。だから、感情も刻一刻と変化していく。昨日は怒ってたけど、寝たらそんなの忘れされてくれるかもしれない。
 

 ——時間は人を愚かにする爆弾だ。

 時間君はまた、生物を酸化させ腐敗させ、殺していく。そんな残酷な概念でもあるのだ。時間によって、両親が愚かになっていくのを最近実感したところだ。
 でも、逆にこう考えることは出来ないか。僕は今現在、成長しているようにもとらえることが出来る。時間はある地点で人を愚かにする方向に運動を変えるのかもしれない。
 
 ——人生は鉛直投げ上げ運動のようではないか

 人はy=0の地点から生を始め、速度は(初速度)-gtで表わされる。tは時間。それがマイナスの方向に働いている。この式に基づいて考えれば、やはり時間は常に人を老化させるマイナス方向に働いているのであって、決してプラスの方向に人を動かしてはいない。
 成長というのは、あくまでも初速度に影響される。

 ——人生は理論じゃ語れない。
 

 でも、人生ってこんなシンプルな式では語れないんだろうなと思う。この式もあくまでは空気抵抗など細かい状況は考えていないのであって、これは理想的な式。
 全員がこの式に当てはまるなんて考えられない。
 一人一人が違った初期条件を持っている。それに運動の途中でどんな外力が働くかもわからない。そして、それがいつどの方向から働くかは分からない。更には、マイナスに働く加速度gだって、可変になることもあり得る。だから人生は面白みがある。
 

 ——人は未知のものに恐怖を抱く。しかしながらそれは同時に好奇へと変わる。

 

 

 人はいずれ2回目のy=0を迎える。そして今までの運動を振り返って自身に問いかける。

 

 ——自分の運動は意義があっただろうか——と。