ぼくの脳内

ぼくの脳内を言語化してみた

人としての喪失

 人間は誰しもが腹黒い一面を持っているものだ。

 

 というのは本当なものなのか。自分は今まで疑問に思っていた。当の自分には全く心当たりがなかったからだ。

 しかし、俺には年月を経るごとに大切な何かを失っているということが初めて出会った彼女に指摘されて浮彫りになってきた。

 

 

 初めて声を聴いた時、すでに彼女の声は高ぶっていた。それは妖艶な声で俺を招き入れる。俺も緊張で胸が高揚し、動きだしたばかりのロボットのおもちゃみたいに慣れない声で事を始めた。

 

 ある程度まで進んだところで、どうして俺は他の女のことを口走ってしまったのだろう。最大の誤算だった。いや、そう思うことすらも彼女には許されないのだ。

 

 あなたは面白い人だけど、その子が傷ついているのを想像すると私は辛い。だから、私はこれ以上あなたとすることは出来ない。

 優しさと呆れと、そして俺へ向けられた哀れみを感じとりながら、そこは沈黙が支配するところとなった。

 

 何分間経ったろうか。その前後に誰が何のセリフを言ったのだろうか。全く覚えていない。

 どのタイミングかは忘れたが、震えた声で「ごめん」と言っている俺がいたような気がしないでもない。

 

 「彼女はあなたのことを本気に思っているかもしれない。勇気を出してすべてを賭けてあなたと関係を持っているのかもしれない。」

 

 それを少なからず阿保らしいと思っていた自分がいた。そして、わけもわからないのにそれらしい見解を押し付けてきた彼女の不躾さと、彼女ともう甘い夜を過ごせないことへの軽い落胆が押し寄せる。

 

 彼女とは仮想空間上での付き合いだと思っていたし、お互いが希薄な関係であるということを承知の上で関係を持っていると思っているものだと考えていた。彼女も納得しているようだったから、自分もたかをくくっていた。

 こんな言い訳が通用するんだろうか。彼女はまだ幼い。いくらなんでも超えてはいけない一線があるのではなかろうか。中学生の言う、知的・頭が良いなどの売り文句はやはりガセだったのだろうか。

 反論されても仕方ない。成年している自分こそが釘を指すべきだった。俺は彼女に甘えているだけだ。最低だと自覚するべきだったと。

 

 いやいや、そもそもどうして自分がそんなにも上から物事を見ているのだろうか。

 お前は加害者だろう。何も悪くない彼女の心を弄んでいる。それが神聖なる領域を汚しているということを承知しているのか。

 

 人の気持ちを想像する能力が欠如している。人の都合だけを見てきた人間には向いていないのかもしれない。

 そして、軽薄に好意を伝えるべきではない。すぐに温まる人間関係は、すぐに冷めてしまうのだから。

 となると、自分には一体何が出来るのか。俺はどうして存在しているのか。

 将来ボランティアがしたい、なんて言ってしまって良いのだろうか。

 

 人の努力を嘲笑うようなことはしてはならない。いつ、そんなにも簡単に思えたことが出来なくなったのだろう。

 俺はいつ、人の心が分からなくなってしまったのだろう。

 俺は人を、喪失したようだ。

 

 

 その後も彼女に自分の事情を理解させ、他愛のない話を日が昇るまで永遠としていた。

 どうしてかは分からない。ただ彼女は楽しいとだけ言った。

 

 人間として考え方の違う者をどうして受け入れ、ともに夜を明かすことにしたのか。その真偽は今でも俺には分からない。

 

 好きな音楽は何か。部活は何をしているのか。思い出すほどに分からなくなる。彼氏に求める要件はなにか。明日の予定は何か。今までにどれだけの人とヤったのか。人間は腹黒い一面を持っている物なのか。性癖がどうか。

 

 ふと空を見ると曇った空から降ってきたのだろうと思しき濁った牛乳のような光が差し込んでくる。

 

 彼女は言う。

 

 好きでもない人と、こんな長時間話すわけないじゃん。じゃあね。

 

 

 あぁ。俺は人じゃないのかもしれない。

 彼女が口を閉ざす前に俺はそう思った。