過去に浸るな、前を向け
新年度に入って、初めてつらつらと書いていくわけだが、文章に特別な変化は起こらないだろう。
ただ今日は、新たな環境に入って一旦落ち着いた時期だからこそ、自分を見つめる機会を設けようと思う。
表題にもある通りだが、結局は自己激励である。
受験というイベントが一度終わってからというもの、心の中で、たまに「嫉妬の心」が顔をのぞかせることがあるのだ。
他の人は大学debutしてるのに、自分はこうしてもう一年。
「やってられねえな」と思うことがないわけでもないのだ。
しかし考えてみろ、自分よ。
人生を豊かにしたいなら、その分だけ深く屈みこんで飛び上がらなければならないのだ。
目先の誘惑に従って自分の人生を一時的にバラ色に染め上げるような奴は、同じくらい赤い血を目の当たりにするのかもしれない。
そう考えると、少し自分が救われる気分になるのだ。
結局はそう。救われたいのだ。自分の傷を癒したいだけなのであると気づくのだ。
大概そういうときは、現実から逃れたいという気持ちがあるときなのだ。
あれ、これって前にも似たようなこと言ってるかもなぁ。
話は脱線するが、このブログを書いていてよかったなと思えることがいくつかある。
まずは、過去の自分の面白い思想を保存できること。
いつか見返した時、更に豊かな人生を送るための良い手掛かりになるかもしれない。
もう一つは大したことではないのだが、受験の小論文を書くときにすらすらと言葉が出てくるようになったということなのだ。
これは予期せぬ副産物であったのだが、非常に役立っている。
批判的思考を持って、ブログを書いていることが多かったから、試験の時はそれの延長でつらつらと書けば良いだけなのである。
その時には、きちんと文章の構成を整える必要があるのだが、これを書いているとき、無意識にそれもできていたような気もするのだ。(傲慢かもしれないが)
もう一年浪人するとなった今、このブログは定期的に書かなければ、自分の文章校正能力が落ちてしまうのではないかと危惧しているので、今日ふと書こうと思ったということをここで告白しておこう。
さて、話をもとに戻そうと思う。(本番の小論文でこんなことをしたら、不合格不可避であるのだが)
そうそう、とにかく自分は今、自分に慰められている途中であったな。
現在の自分は、それなりに楽しんでいる。
何より、毎日の授業が本当に面白いのである。
予習復習に追われる日々なのだが、毎日充実している。インスピレーションを与えてくれる講師の方々には感謝しかない。
浪人したら浪人したなりの出会いもあるわけで、彼らにはいつも刺激を受けている。
それに、いまだにcovidが世を席捲しているのだから、そんな時に大学debutしててもすることがないのであるから、今浪人するほうがむしろ賢い選択であると言えよう。
うん、この要素はかなりポイントが大きいな。
よしなんか元気が出てきたような気がする。
時には自分を客観視しないのも必要なのだなと、書いていて思った。
つまり、常に自分の相対評価を考えない。まさに絶対評価で自分を見つめることも必要なのかもしれないと。
自分のことに夢中になって、必死に這いつくばっていれば、いつか自分を客観視した時、大きな成長を感じるだろう。
その瞬間、実績が出ていようが無かろうが、自分の今までの努力に価値が見いだされるのである。
それを求めるなら、こんな文章書いている場合では無いのかもしれないな。
というわけで、俺の相対意識には少しの間眠ってもらおうと思おう。