ぼくの脳内

ぼくの脳内を言語化してみた

人間は衝動がお好き?

 理不尽に怒る人を見て、こう思ったことがある。

 

 もしかして、人間は怒りをむしろ欲しているのではないかとさえ感じることもある。

  

 

 例えば、誰かに嫌なことをされたとしよう。そして、その時にその誰かにスカっとするような言葉を浴びせることが出来なかったとする。

 そんな時、後々後悔するのだ。「もっと鮮やかに論破するべきだった」と。

 

 そして、考える。「どうすれば最も華麗に相手を打ち負かすことが出来るのだろうか」と。

 

 それを考えているうちに、自分がどんどん感傷的になっていく。その当時の感情とシンクロしてしまうのである。いわば、怒りをシミュレーションするのである。

 

 結局これも生産性の無いことなのだろう。こうやってまた、もう起こりもしない出来事の対策を考えて、情けない自分から逃避するのである。

 

 いやしかし、怒る理由は逃避への欲望のみなのだろうか。

 

  本当は「衝動に走る」という非日常を味わいたかったのではなかろうか。

 

 

 もう一つの例として、他の人が友達の陰口を言っているのを聞いてしまったとしよう。

 

 そんなとき、皆は何を思うだろうか。

 

 どうでもいいと思ったり、面白いと思ったり。もしかすると、自分が悪口を言われているように思って、怒り狂うのかもしれない。

 

 後者にスポットを当ててみたい。

 

 この場合、自分はどうして怒り狂っているのだろうか。

 

 友達の為に怒り狂ってあげているのだろうか。

 はっきり言って、そんなものは自己満足でしかないと斬ってしまいたい。もしその友達がその場にいれば、彼は気まずい思いをするだろう。

 

 結局のところ、この例でも、必要もないのに、わざわざ怒る機会を作り出しているのではないだろうか。

 

 それは、自傷行為をしてしまう人と同じで、心も何かしらの刺激を欲しているからなのだろう。

 

 

 加えて、怒るという刺激を求めるのは、「笑う」ことが出来ない人によくある傾向なのではないかとも思う。

 

 それが、ネットを荒らしたりだとか、喧嘩をよくしたりなどの行為に表れていると考えている。

 

 

 怒りというのは、笑いよりも比較的安易に得ることが出来る。

 

 どういう点で安易なのかと言えば、「1人でも出来る」という点でだ。

 

 「笑う」という行為は、誰かと一緒にいるときや、テレビで誰かを見ているときに発生するものである。

 

 一方、「怒る」という行為は、自分の中でグルグル思いを巡らせるうちに増幅されるもの

 

 こう考えるなら、上記の説明がつく。もちろん、怒ることの原因は「他者よりも劣る自分」や「自分を傷つけた他者」にあるのだろうが。

 

 

 本当は、少し自分の心を開くだけでいいのに。もう少し努力してみるだけでいいのに。

 

 それをするのが億劫で、ついつい楽な方に走ってしまう。それが人間の性という者なのかも。

 

 

 でも、今一度考えて欲しい。

 

 長い目で見れば、豊かに生きるためには、「笑い」を求めていたほうが何倍も幸せな人生を送ることが出来るということを。

 

 そして、世界が幸せになっていくということを。